世界の広さは興味によって拡縮する
どうも、taishoです
最近、Vtuberなるものがネット界隈で一大ムーブメントになっていますが、当方Vtuberの存在をほとんど認識しておりませんでした
んで、これらにコンテンツはいつごろから始まっているのかというところが気になったのですが、
王座に君臨している「キズナアイ」は2016年12月から活動しているようです
…そんな前からいたのな
さらにキャラクターが実況をするスタイル(VTuberの前身的な)の動画はなんと2011年から存在していたようです
そこで気になったのが、自分の認識とのギャップです
各方面でVtuberが取り上げられて多くの一般の目に触れるようになったとき
こう考えた方もいるのではないでしょうか
「なんか急に新しいのでてきたな」
自分もこのパターンでした
どんなアーティストやエンターテイナーでもそうですが、下積みの最初期の活動期というものがあります
しかし、それを知らない層からすると
マスメディアに取り上げられて大衆の目に触れたものは
「彗星に如く現れたニューフェイス」
と解釈してしまうのです
社会情勢や社会問題に関してもそうです
メディアに取り上げられて初めて多くの人が反応するようになりますが、
その話題を最初から追いかけている人というのが必ずいて、その人からすれば
「なるべくしてなった」
必然的な問題も多いのかもしれません
少し話が脱線しますが
これは売れると思ってずっと買ってた漫画がアニメ化発表されて、多くの目に触れるようになったときのあの謎の優越感、私は好きです
・興味の範囲=世界の範囲
前置きが長くなりましたが、今日の本題です
なぜ、メディアに取り上げられたものは急に現れたように感じるのか
それは「興味の有無で人の世界が広がったり狭くなったりする」です
私たちが普段目にして記憶に残っているものは全て
自分の興味の範囲内にあるものです
そうです
人は自分の興味のあるものでしか世界を構成していないのです
つまり、通りで歩きスマホしていた人の顔、道路脇に咲いてる花、路地裏でカラスがついばんでた食べ物
それらは情報として確実に目の中に入ってきているのですが、脳が記憶をしなくていいもの(興味のないもの)として捨ててしまっているのです
そしているもの(興味があるもの)だけで形作られたのが今私たちの目に前にある世界だと言えます
同じ風景を共有した人たちでも、その人の興味が何処に向かっているのかによって世界に見え方は変わってきます
これを冒頭のVtuberの話に当てはめると
今まで存在を知らなかった(興味がなかった)
↓
Vtuberって面白そう(興味がある)
メディアに取り上げられた情報を目にすることで興味が出てきたというのは、興味によって世界が広がったと解釈できます
興味がなかった段階からいきなり売れた状態を認識したために、彗星の如く現れたように見えてしまったのです
同様に逆に狭くなる可能性もあります
例えば昔は目を釘付けにしてみていた戦隊ヒーローもの
年齢を重ねることで興味の範囲外へと追いやられていつに間にかその存在すら忘れていたりします
興味の外に出てしまったものはないものとして扱ってしまうのが人間です
人権団体のデモや、スーパーの大売出しのチラシ
どんなに声を大にしても、興味のないものはその人の中ではそもそも行われていない活動なのです
好きの反対は無関心
そのことがよくわかりますね
好き(興味がある)
嫌い(興味がある)
無関心(興味がない)
これらのことから何が言いたいかということなのですが、すごく単純
普段からアンテナ張っていろんなことに興味を持とう
ってことです
各方面で活躍している人たちは、例に漏れず知ることに貪欲だと思います
常に様々なことに興味をもち、引き出しを増やしています
そしてそれらをうまく噛み砕いたり、拡大したり組み合わせて自分の考えとして発信する能力が優れています
たくさん興味を持ち世界を広げることは、可能性を広げることです
興味を持ったものはどんどん引き出しにストックしちゃいましょう
そして時間が許すなら調べて自分なりの考えを持ちましょう
ネットの普及によって情報過密社会となっています
調べればすぐに答えが出てくる便利な社会です
でもそれと同じくらい嘘にまみれた社会です
情報の取捨選択をして自分なりの考えを持つことが非常に大切です
世界が広ければ広いほど、羽ばたける場所は多いと思うのです
そして、うまく羽ばたくために考えることが必要なのです
これは情報に流され影響されやすい自分への訓戒です